東北旅行の記憶、気仙沼1日目
気仙沼を拠点に東北に行きました。
家族3人、東京から新幹線で下関に行き、そこからレンタカーで気仙沼へ。特に理由もないけれど、いつかは行ってみたかったんです。震災から12年経って、今の状況も見たかったですしね。
2歳半の娘と新幹線は意外と楽しむことができました。
最初に行ったのは「震災遺構」の高校。旧気仙沼向洋高校。
あのときの匂いを強く遺す場所。校舎の中には流されてきた松や車、瓦礫がありました。そして最高到達点の4階に置かれた鉄の棚には、海が来た位置の線がはっきりと残っていました。
東北のこのあたりは、震災の爪痕を遺す建造物が多く残されています。この高校も、奇跡の一本松も、代表的なもの以外にもちょこちょことあります。ある種の観光地としても機能しているみたいです。
ちなみにこの高校の周りには建物は経っていません。巨大な堤防からこの高校までは広大なゲートボール場となっています。それがなんだか不思議でしたね。すべてが流されたあとに、お年寄りの集まるスポーツ競技場が残っています。
ここが4階。サビのあとは海水がここまで来たということ。
校舎と校舎の間には瓦礫が引っかかっています。
次は奇跡の一本松
高校から一本松までは車で30分かからないくらいで行けます。
本当は2日目に行く予定でしたが、高校を見たあとにすぐ行きたくなってしまいました。
奇跡の一本松も、観光地ですね。
ここには道の駅があるのでご飯も食べられます。
一本松と海の間にはこの廃ホテルがあったので、”奇跡的”に松の木が残ったそうです。結局枯れて、今はレプリカですけどね。
海沿いには新たに松が植えられていました。
1日目はここで終了です。
ホテルは気仙沼の「気仙沼プラザ」。ここも被災しているので航空写真とか被害状況の写真を飾っているスペースがありました。
まとめ
1日目、感じたことは、被災地としての主張が結構強いということ。まあ当たり前ですが、まだ記録ではなく記憶の中にいる場所という印象。僕自身、あのときのあの光景、緊張感を思い出しましたし、考えることが多かったです。「がんばろう東北」の一番説得力がある場所に来てしまった。